母の想い出
ロサンジェルスで長女を出産した時、母が日本から来てくれた。
3ヶ月の滞在中、母がどんな想いでいたか、母が亡くなって20年経った今、母の物を整理していて初めて知った。
母は頻繁に大阪の家族に手紙を書いて送っていた。
そこには、受験生だった妹の心配、年賀状の心配、留守中の生徒(着物コンサルタントだった)さんやお世話になっている人たちへの気遣い、家の管理連絡などに加えて、愚痴もたくさん書いてあった。
一人でどこにも出かけられず頭がヘンになりそう、、とか、することがなくてホントのお婆さんになってしまう、、とか。
いままで自分がいかに好き放題生きてきたかがよくわかった、、とか。
私は母の気持ちをどこまで理解していたのだろう、初孫に会いに来てお手伝いをするのは嬉しいことだと思っていた。
それは私のエゴだったのかなぁー。息の詰まる日々だったのだろうか?
40年前のことで記憶も曖昧だけど、私は母が来てくれて安心したし、楽しいこともたくさんあった。
母は、留守宅の家族に自分の存在をアピールしたかったのかも知れないね。
返事をください!と何度も書いてたから、、。
当時、母は50代だった。アクティブな女性だった。
なのに、おばあちゃん扱いしてごめんなさい。
その時の母の歳をはるかに越した今、深く反省、、。
本当にありがとうございました。
ところで、母は組紐の先生もしていたので、組紐台と沢山の綺麗な糸があるのですが、どなたか興味ある人はいませんでしょうか?